生き恥曝しても死に恥曝すな
生きているうちに恥をかいても、死後に残るような恥をかいてはいけないということ。

tomorrow

 恐らく「明日の演劇」を――それが「理想的な演劇」を意味するにしても――たゞ一つの型に嵌めてしまふことは大きな誤りでありませう。前講『舞台表現の進化』に於て述べた通り、様々な芸術上の主義主張は、その理論に於て何れも特色ある美の表現を目ざしてゐる。独断と衒気を去り、姑息と停滞とを戒めたならば、流派そのものに優劣があるとは思はれません。 「偉大にして光輝ある演劇」の将来は、かゝつて、演劇の芸術的純化に在るものと云へるでせう。そして、その芸術的純化は、一に演劇の本質に徹した先見ある舞台芸術家の、真摯なる努力に俟たなければならない。しかも、演劇はその構成の上から、如何に天才と雖も、一人の手でこれを造り上げることは絶対に不可能な性質をもつてゐる。そこで、一つの演劇は、幾人かの協同動作といふことになる。従つて、演劇の「創造者」は一人の作家でも、一人の舞台監督でも、一人の俳優でもなく、結局一つの「劇団」なる有機的組織の精神的並びに肉体的存在であります。此の存在は、恰も一個人の存在と異るところはない。そこに一切の秘密がある。一切の希望、一切の苦悶、一切の歓喜、一切の意志と運命があるのであります。  一つの「劇団」は一個人の如く活きてゐる。――この事実は、「劇団を組織する人々」の所謂合議制を認めないのみならず、君主の専制に対する盲目的服従をも認めないのであります。 経堂 歯医者
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