生き恥曝しても死に恥曝すな
生きているうちに恥をかいても、死後に残るような恥をかいてはいけないということ。

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 検非違使の下部を「放免」と称する事については、徳川時代の学者をして、かなりその説明に頭を悩ましめたものであった。「安斎随筆」には、大江匡房の「江談抄」に、彼らが賀茂祭の際綾羅錦繍の服を著用するも、非人なるが故に禁忌を憚らざるなりとある説を引いて、 貞丈曰く、非人とは甚だ賤しみたる詞なり。至極の下司にて、人に非ざる者なれば美服を憚らず、「放免」はホシイマヽニユルスとよむ。是れ祭の日ばかりの事なり。是を推して常の号となりしなるべし。 と解している。すなわち賀茂祭の日にのみ限って勝手な真似をしてもよいとの事で、それで放免と云ったのが一般の名称になったというのである。伊勢貞丈の如き卓見家ですら、なおかつこんな不徹底な説明に満足していたのだ。また谷川士清の「倭訓栞」には、 東鑑右大臣家鶴岡拝賀時、供奉行列の中に放免四人と見えたり。検非違使庁の下部をいふといへり。行列は各自に其の分上を專に務むるをもて、列の人数に離れ、順の乱れぬ様にし、或は闘諍を鎮め、或は下部の頓に煩らひある時に、人数に加はりて務むるをもて、行列を放ち免さるゝの義なり。常にいふ走り下部なりとぞ。 と云っている。前者とその説は違うが不徹底な程度においては同一だ。そして彼らの名称が、もと放免囚である事に気がつかなかったのだ。京王の橋本 整体
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