生き恥曝しても死に恥曝すな
生きているうちに恥をかいても、死後に残るような恥をかいてはいけないということ。

kotoshi

 今年のことだけを取りたてゝいふ興味はもはやない。それと同時に、戯曲家総評のやうなものをやつても別に意味があらうとは思へぬ。私はたゞ、この機会に、最近の劇壇と、劇文学界との間に、どういふ関係が生じつゝあるか、その関係が、両者の将来を如何に決定するかといふ問題について語つてみよう。  こゝ数年の間、所謂「新劇」を含めた日本の劇壇は、全く混乱に陥つてゐる。目標を失つたものと、目標を誤つてゐるものと、目標に近づく方法を知らないものとが、互に縄張を争ひ、僥倖をたのみ、空元気をつけ、自己の無力を他の罪に帰し、名目を求めて事大主義に陥り、舞台は「演劇の伝統」を離れて、低俗にあらざれば奇矯なスペクタクルと化しつゝある。  かゝる傾向は、一面、商業主義と芸術運動とのけじめを曖昧にし、一資本家が、国立劇場を建てると云へば、それが真面目に取り上げられ、一歌舞伎俳優が「演劇文化の向上」に力をいたすと宣言すれば、人々はわけもなくこれに期待し、新派の一老優が、左翼系の演出家と提携したゞけで「進歩的」の折紙をつけられる滑稽な時代を現出せしめた。「何かをなすためには何かであらねばならぬ」ことなど、演劇の世界では、誰も考へなくなつてゐると見える。 クレジットカード現金化
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