生き恥曝しても死に恥曝すな
生きているうちに恥をかいても、死後に残るような恥をかいてはいけないということ。

takuboku

 石川啄木の日記を発表するとかしないとかいふ事が問題になつてゐるやうである。いづれどつちかにきまるであらうが、かういふ場合、責任者は責任者で慎重な態度をとらうとするし、世間の一部は、多少物好きも手伝つて、早く見せろと息捲くのである。  ゴンクウルの日記は、たしか死後二十五年を期して公表するやうに遺言されてあつたのを、丁度その二十五年を経過した一九二一年に、新聞「マタン」がいちはやく、あれはどうなつたのかとアカデミイ・ゴンクウルへ宛てゝ督促の記事をかゝげた。日記の原稿の保管は巴里国立図書館がこれに当つてゐたが、出版に関する権限は、このアカデミイが当然もつてゐるのである。  ところが、アカデミイでは、会員中、その公表を尚早とするものがあり、特にアンリ・セアアルはゴンクウルのおぼえあまりめでたくなく、最初の会員名簿には名前が漏れてゐた男であるから、これは強硬に反対した。そこで、たうとう、査閲委員といふやうなものを作つて、この日記を一応読んでみることになり、差支がなかつたら出版するといふことを天下に約束した。ところが、セアアル自身もその委員のうちに加はつたので、天下は唖然とした風であつた。中野区 歯医者
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