生き恥曝しても死に恥曝すな
生きているうちに恥をかいても、死後に残るような恥をかいてはいけないということ。

kounaruto

 かうなると、実際に一つの劇団を統率する人格は、その劇団の首脳として、一般社会の、あらゆる組織中に見出し得ない、一個特別な職能と地位とを与へられてゐるわけである。今日まで、幾多の劇団が、大きな抱負をもつて生まれ、その抱負を実現し得ずして瓦解した、その原因の主なる一つは、「劇団の組織」に対する明確な観念を欠いてゐたためであります。  やうやくモスコオ芸術座が、此の点で理想に近い劇団であると云ふことが出来ませう。然し、一つの劇団も、一個人の如くあらゆる意味に於て、「若さ」と「力」とを失つて行きます。それと同時に、「未来」がなくなる。  一劇団存在の条件はいろいろ数へられるでせうが、それは別に研究するとして、われわれは全世界を通じて、今「明日の演劇」の曙光を認めようとしてゐる。「明日の演劇」が必ずしも「未来永劫に続く演劇」であり得ないことはわかつてゐますが、少くとも、一時代を倶に活きる世界人として、われわれもその伝統を棄てる棄てないに拘はらず、兎も角、欧洲の劇壇に動きつゝある眼ざましい傾向――演劇の芸術的進化を目標とする意義ある運動に参与する覚悟を持ちたいと思ひます。 不労所得で脱サラを目指す元学生パチプロのブログ
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