3F
私は三階のひと部屋をとつた。 このホテルは日本婦人を細君にしてゐるフランス人が経営してゐるのだといふ話を聞いてゐた。そこで、はしなくも、私は近代支那の一享楽主義者が発した言葉といふのを思ひだした。曰く、「この世の幸福は、洋式の部屋に住み、日本の女を妻とし、支那料理を食ふことに尽きる」と。 ボーイがぞろりとした支那服で、怪しげなフランス語を使ふのをみてゐると、こつちは馬鹿に気が楽になる。嘗ての放浪癖が頭をもたげて、早くも、私は、「故郷を失つた人間」の気持にひたる。 慈善興行 日本を発つ時、阿部知二君から、北京へ寄るのだつたら是非この人に会へと、わざわざ紹介の名刺を貰つて来てゐるので、ともかくそのS・O氏と連絡をとることにした。何時何処でお目にかゝれるかと手紙にしてメツセンヂヤア・ボーイを走らせたのである。すると、間もなく、こつちから出向くといふ丁寧な返事に、私は大いに恐縮した。 O氏は、支那文学を専攻する慶応の若い教授で、なんの予備知識もない私に、「これが北京だ」と教へて誤らざる人だと阿部君はにらんだのであらう。 事実はその通りで、私の勝手気儘な註文にも拘らず、実用と趣味の両方面から、極めて豊富かつ適切なプログラムを作つてくれた。 私は先づ、滞在日数の極めて少いこと、「事変」に関係ある範囲で会ひたいと思ふこれこれの人々があること、名所旧跡はこの際強ひて見たいと思はぬこと、それよりも「北京の現代相」といふやうなものについてひと通りの概念を得たいこと、序があつたら古物商を一二軒のぞいてみたいこと、等を述べたのである。
解剖生理学スクール 解剖学・基礎医学の個別指導塾・家庭教師