生き恥曝しても死に恥曝すな
生きているうちに恥をかいても、死後に残るような恥をかいてはいけないということ。

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さつきから、開いたまゝの窓の処を見てゐると、ボヤツと見えるのは、今のゲツソリ頬のこけた人の顔だしかも半面鮮血淋漓、ゾツとして眼をしばたゝくと、窓は矢つ張りあいたまゝで、斜に、月の光が画の様。三階から飛び降りて死ぬる、何としたはかない運命であつたらう。三階が人を殺す道具にならうとは、蓋し、何人も始めから思ひ付く人はあるまい。三階とて人間の棲む処だ。それが、人を殺す処となる。俺は、いろんな事を考へて見た。刃、剣、鉄砲、毒薬、病、これ等は、吾々が人を殺し得る物と、普通に知つて居る物だが、人を殺すものは、どーして、それ処では無い。手拭でも殺せる、棒でも殺せる、足でも殺せる、瀑に落ちても死ぬる、噴火口に這入つても死ぬる、戦争でも死ぬる、乃至、三階でも死ぬるではないか。地球上、至る処は死に道具で満ちて居る様に思はれる。吾々は、如何なる処でも、何を以てでも、どう云ふ方法でも、直ちに死ぬる事が出来る。吾々が呼吸してゐる、空気を吸ふのは生きる所以で、吐き出すのは死ぬる所以か、乃至、吐くので生きてる、吸ふので死ぬるのか。どつちに転んでも、すぐ死ぬるのだ。吸うたり、吐いたり、其処で吾人は生きて居るではないか。吾々は、死なうと思へば、何時でも死に得る。それを、危い呼吸で生きて居るのではないか。死ぬると云ふ事は、何だか、この呼吸の面白さを解して居ない様に見える。しかし、俺の考が間違つてゐるのかも知れない。想像は想像を生み出して、止む時がない。死ぬる事ばかりでは無く、総ての事柄は、此の呼吸でやつて行く様だ。ヤツと云ふ間に、舞台は、クラリ/\と変つて行く。過去六十年の歴史は、此のヤツと云ふ呼吸から出て来た火花だ。両国で花火を見る時、パンと音がして、サツと幾百条の赤い光線が出る。光線は即人間の歴史で、美くしい面白いが、其パンと云ふ音の方が、俺には面白う思はれる。宇宙は、総てこの「パン」「サツ」で以て出来てゐる。「パン」を知つたら、「サツ」は解る。「サツ」を見ても、「パン」は中々解らない。此の頃は、眼で殺される人間も有ると云ふが、此の「パン」「サツ」を知らないからだと思ふ。レザー ウォレット ???s?-?μ?A?O‰“?μ
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