生き恥曝しても死に恥曝すな
生きているうちに恥をかいても、死後に残るような恥をかいてはいけないということ。

sibai

 そこで芝居、或は演劇とはなんぞやということを考える場合に、やはりこの社会に、或は人類の間に、演劇、芝居がどういう風にして、なぜ、生れて来たか、そこまで考えなければいけない。そうして、その芝居というもののなかで占めている俳優の位置というものを考えますと、そこに初めて俳優とはなんぞやという問題が、舞台とか或は劇場とかいう、そういう一つの限られた場所から飛躍して、全人類のなかに於て占めている一つの俳優の地位というものが明らかにされてくる。そういうことによって、俳優というものの尊厳な一つの意義が発見されます。  演劇史を少しよんだ人は知っている筈ですけれども、芝居がいったい古い社会にどうして起ったかということを考える時に、無論芝居の原始的な古い起りというものは実際にはわからない。いろいろな研究の結果ほぼ推定できる、想像がつくという程度のものですが、しかし、まず、今日まで残っているいろいろな記録だとか、或は学者の研究した資料というようなものを通じて、今日ではほぼ見当がついている。それは、結局人間が芝居といえるようなものを始めたのは、一つの人間の集団生活、――人間が集って生活をしているなかで、その集団生活には常につきものであるところのお祭、そのお祭の行事として行われたものだということが推定される。つまり芝居とお祭というものが切っても切れない関係にあるということです。しかも、このお祭というのはいうまでもなく、宗教的なものです。即ち、人間が神を祭るということは、その集団生活の幸福を祈る、安寧無事を感謝する、或はその集団生活のなかに恐るべき不幸が来ることを惧れて、そういう不幸が来ないように神に祈る、そういう極く原始的な人間の感情の現われなのです。表参道でFacebookいいねを1500以上の美容室
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