生き恥曝しても死に恥曝すな
生きているうちに恥をかいても、死後に残るような恥をかいてはいけないということ。

keredomo

 けれども今日の様子では、まずチベット仏教は下火に向って居るといわねばならぬ。ただその将来はキリスト教そのものも今のような、腐敗した教会の宗条的キリスト教では、チベット人に対してはほとんど布教の見込みなしというてよい。またチベット仏教も今言う通り大活劇を試みる大菩薩が出なかった時分には、この儘習慣的、儀式的に維持される位のものであると私は考えるのであります。これでチベットの宗教の将来という問題はお仕舞にして置きます。 旧師及び故郷への信音 昨年インドへ交易に行ったところのツァ・ルンバという者が、明治三十五年の四月三十日に帰って参りました。これは先にも申しました通り、私の信書をインドのダージリンに持って行って、そうしてサラット・チャンドラ・ダース師及びシャブズンというラマに渡し、なお故郷の方へも手紙を送る手続きをしてくれたチベットの商人であります。で、セラの僧舎へ無事に帰って来たという報知がありましたが、その時には私はセラに居らないで大蔵大臣の所に居りました。それで小僧がわざわざその報知を伝えに来ましたから、私はその翌五月朔日の朝からその返事を受取りかたがた行きました。 医師 求人
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