生き恥曝しても死に恥曝すな
生きているうちに恥をかいても、死後に残るような恥をかいてはいけないということ。

china

 日支事変以来、いろいろ新しい言葉、珍しい言葉が使はれだした。時代がさういふ言葉を必要とする一方、さういふ言葉がまた時代の調子を作つてゐる。  いちいち例を挙げるまでもないが、第一に「非常時」から始まつて、「超非常時」「決戦段階」といふ風なことを二た口目には誰でも云ひ、「大政翼賛、臣道実践」は近衛公爵の宣言に源を発し、「新体制」と共に忽ち世上を風靡したが、「滅私奉公」は誰が云ひだしたか、国民日常の戒訓となつた。  しかし、「総力戦」といふ言葉ほど耳新しく響いた言葉はそんなにない。  武力戦だけが今日の戦争ではなく、これと並行して、国家のすべての機能、国民のあらゆる活動が、戦ひの勝敗を決する一素因であるといふ意味がそこに含まれてゐる。  経済戦、外交戦、思想戦、宣伝戦、謀略戦、などはすぐに耳にも眼にも慣れて来たが、「生産戦」はほやほやの感があり、「生活戦」となると、まだ大分説明がいりさうだ。  矢代初瀬は、四五年前、「生活戦に備へて」といふ誰かの文章を雑誌で読んだ記憶がある。日本人の「生活観」を吟味せよといふことから説き起し、現代の風潮に厳しい批判を加へ、武士道の精神と武家の家風とを結びつけ、質実剛健を旨とする日常生活こそ、戦ふ国民の底力であるといふ前提のもとに、能率、健康、品位の三点から、可なり具体的に、戦時生活の根本的建て直しを唱道したものであつた。ヴォラーレ
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