生き恥曝しても死に恥曝すな
生きているうちに恥をかいても、死後に残るような恥をかいてはいけないということ。

monka

 同じく源空の門下に出て、後の浄土宗から分立し、源空最初の意気盛んな頃の説をどこまでも主張したのは、真宗の開祖善信聖人親鸞であった。彼は相変らず悪人往生の為に尽力し、「善人尚以て往生す、況や悪人をや」を説いている。その唱うる念仏は報恩謝徳の念仏であって、極楽往生を願う為の念仏ではない。同じ念仏でも、真宗の念仏と浄土宗の念仏とは、念仏の意義が違う。かくて親鸞は自身肉食妻帯を体験して、破戒の行業を辞せず、非僧非俗の愚禿と称して、在家法師、俗法師の徒を以て任じ、社会のドン底に沈淪した最下層民たる餌取法師、非人法師の徒をも疎外することなく、いわゆる御同朋御同行として、世間から最も罪業深いものと認められた、かの屠者の輩をまでも済度された。同じ念仏宗でも空也流とは趣きを異にして、一方に罪を犯しながらも、一方に仏を信ずることによって、極楽に往生しうるというのである。これが為に従来仏縁から遠かった人々も、多くこの宗旨に救われた。浄土宗ではあまりエタ、非人の徒を収容せず、空也流でも、茶筅・鉢屋・簓など、殺生から遠ざかった下層民を収容したが、親鸞の流義では、必ずしも殺生を禁ぜぬ。職業としてやるならそれでもよい。もともと神を祭らぬのであるから、肉を喰っても、皮を扱っても、それを穢れとして忌避する必要はないのである。これが為に、徳川時代にエタとして世間から甚だしく疎外された下層民は、大多数この宗旨に帰依するようになった。薬学生の質問掲示板 定期試験・進級・CBT・薬剤師国家試験対策
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