生き恥曝しても死に恥曝すな
生きているうちに恥をかいても、死後に残るような恥をかいてはいけないということ。

yokomitu

 横光利一氏も何時か私に「日本人の批評といふやつはどうも対手の痛いところを突きすぎる」といふやうな意味のことを云つたので、私はこの人にしてこの言ありと思つた。この言葉も文字通りにとつてはならぬ。痛いところを突く批評ならなかなか立派な批評ではないかと喰つてかゝる人もゐさうだが、横光氏のこの述懐はそんなあたり前のことを遥かに超えた、もつと切実な問題を含んでゐるのである。  批評のなかに、作家を育てるものゝ分量よりも、作家を傷け、挫けさせるものゝ分量の方が多いといふ現象は、日本人の一般の論議のしかたのなかにもみられるのはどういふわけであらう。  現在、時局的な論議が様々な形で公表されてゐるなかに、私は、せめて文学者の意見だけが、現実と理想との問題を、その位置と正しい関連とに於いて取上げたものであることを望むのだが、それも無理な注文であらうか。(「文芸」昭和十四年四月) 新潟市 歯医者
 
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