kenpisi
いわゆる放免が検非違使庁の下部であることは、「伊呂波字類抄」に、「放免」(ハウメン廷尉下部也)とあることによっても明白である。そしてその名称がもと放免囚から起った事もまた疑いを容れないところではあるが、しからば何が故にその放免囚が下級警吏として使役せられるに至ったか、その一代はよしや放免囚であったとしても、その子孫は果していかに成り行いたか、また一切の放免囚はことごとく下級警吏として、永く使役せらるるに至ったものか、「今昔物語」等古書に見える放免なるものが、ことごとく検非違使庁の下部なるもののみか。これらの数多の疑問に対しては、寡聞未だ今日まで一つも研究されたもののあることを知らないのである。 放免囚とは罪を犯して一旦投獄せられた囚人が、所定の刑期を終って出獄放免せられたものの名称である。しからばその放免囚が、特別に公権停止もしくは公権剥奪の付加刑を課せられ、或いは郷国追放の処分を受けなかった限りは、少くも彼らが以前に某地貫籍の公民であったものならば、その放免と同時に、国法上からはもとの公民に立ち帰るべき筈である。
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