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それから瀬戸の赤津へ行った時、この話を持ち出して、 「この辺ではみなよく蝦蟇を食うと聞いたが、ほんとうか」 と、たずねてみた。すると、職人たちは、 「そんな話は聞いたことがない」 という答えで、どうも符節が合わない。狐につままれたような具合であった。しかし、案外、蝦蟇を食うなどと言うことを恥ずかしがってでもいるのではないかと思われたので、あの辺では相当の物持であり、且つまた陶工の親分でもある加藤作助君に会って質してみた。だが、この加藤君も、 「そんな話もないことはないが、ほんとうに食いはしない」 と言う。結局、真偽のほどが分らないので、蝦蟇を食う機会を得なかった。 一度こうと思ったものをウヤムヤにするということは、なんとなく気にかかってならぬものである。そこで京都伏見のある陶器工場へ行った時、ちょうどこの話の御本尊が来ていたので、また、その話を蒸し返してみた。 「君はみな食っていると言うが、聞いてみたら、誰も知らないと言ってたぜ」 と言うと、 「いや、そんなことはない。蝦蟇は美味いし、第一ただだし、みな捕って食っている」 と、相変らず蝦蟇常食論を主張して止まない。どうも要領を得ないことおびただしい。 すると、その話を聞いていた宮永という陶器職人が、 「なんのかのと言うが、蝦蟇は京都にだっている。伏見稲荷の池に行けば、確かにいるに決っている。どこの蝦蟇だって食えるんだから、それを捕って来たらどうです」 と、動議を出した。なるほど、そう言われれば、そうに違いない。そこで、 「捕って来た者には、一匹一円で五匹まで買おう。どうだ、誰か捕ってくるものはないか」 ということになった。この一円は、今の百円ぐらいの価値のある時代である。
三鷹 歯科