childhood
われわれは子供の頃から、まことに無意識に人を脅迫し、また、脅迫されつゞけて来た。 まづ、泣きわめくことによつて母親を脅迫した。人前でしばしば行儀をわるくするのは、「あつち」へ行つてお菓子をもらふためであつた。父親に小遣をせびる一番有効な方法は、友達に借金をしたといふ口実である。 両親は両親で、お灸、押入、お巡り、人浚ひ、学校の先生などを持ち出し、ご飯をたべさせぬとか、家の中へ入れない、などと無法なおどし文句をならべた。 そればかりではない。子供同士の会話を聞いてゐるとわかるが、日本の子供は、二た言目には相手を脅迫してゐる。「これからもう遊ばないよ」と云はれる悲しさを私は想ひ出す。「云ひつけよう、云ひつけよう」とはやしたてる少年少女の意地わるな眼つきはどうであらう。「いゝわ、いゝわ」と口をゆがめて単調に繰り返す女学生の、あの心理には、軽くとも報復を匂はせてはゐないだらうか。「よし、覚えてろ」に至つては、明らかに、復讐の宣言である。「よろしい、それならこつちにも考へがある」とか、「たゞではすまさん」とかは、大人がそれを大人らしく云ひかへたまでのことで、いはゆる「凄む」といふ型には硬軟の別はあるが、いづれも職業的な「ゆすり」の如く、なるべく底気味わるく云ふのが定石である。「おどし文句」の日本ほど豊富なところはどこにもないやうに思はれるが、悪態をつくことにかけては天才のフランス人も、恐喝専門の悪党以外、「おどし文句」といふやつはあまり使はぬ。その場で決裁をする方がお互に楽なわけである。
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