dokoka
「何処かにゐるんだ」――さう考へますと、また、どうしても、決心が鈍つてしまひます……。さうかうしてゐるうちに、月日はずんずんたつてしまひました。 あんなに死にたいと思つたことが、不思議なくらゐに、すべてを諦めてしまつたんでございます。さういたしますと、過ぎ去つたあの出来事を、一生のうちの、忌はしい記憶にしたくないと思ふやうになりました。したくないと申しますと変でございますが、自然、別の眼で、あのことを見るやうになつたんでございます。つまり、生涯に、たつた一度の経験とでも申しますか、それは、考へやうによつて、わたくしには、尊い思ひ出なんでございますから……。いえ、別に、それを自慢にいたすんぢやございません。悲しい女の運命は、さういふところにも慰めが欲しいんだと、お思ひ下さいませ。あゝ、長々と、お喋りをいたしました。ほんとに、よく御辛抱下さいました。もう、大分、時間がたちましてございませう? 奥さま御食事は……? 夫人 かまひません。まだ早いんですから……。 るい それでは、奥さま、こんな話をお聴き下さいました序に、ひとつ、奥さまの御意見をおつしやつて下さいませんでせうか。 夫人 意見ですつて? るい いゝえ、ね、奥様、今の、その男でございますがね、ほんとに、どうお思ひ遊ばします? 今更、どつちでもいいやうなもんでございますけれど、ひとつ、参考までに、奥様のやうな方のお考へを伺つておきたいと思ひまして……失礼でなければどうぞ、是非、御腹蔵なく……。
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