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北京へ来て名所旧跡を二の次ぎと考へる私の料簡を、氏は多少遺憾に思つたらしい。私もまた、それは好意ある案内者への礼でないことをぢゆうぢゆう知つてはゐるが、今度の旅行の目的を忘れてはならないのと、もうひとつは、従来の経験に徴すれば、私は、所謂名所旧跡といふものに接して、真に心を豊かにした記憶がないのである。 それはさうと、O氏は、同伴の支那劇研究者H・N氏を私に紹介し、その晩、丁度いゝ芝居がかゝつてゐるから、一緒に観に行かうと云ふ。そして、晩飯は、両氏の宿で家庭料理を御馳走しようといふ、結構すぎる提議に、私は快く応じた。 さて、その芝居であるが、当夜は、北京市政府社会局主催の義務戯(慈善興行)の第二夜で、しかも、二日しかやらぬその興行は、年に一度のオール・スタア・キヤストだとのこと、北京の名優をかうして並べてみられるのは運のいいことだと云へば云へる。 元来、私は支那芝居といふものを、専門的な立場からもあまり重要視してゐないし、嘗て上海で観た相当いゝ芝居といふのも、その時の印象では、ちつとも面白くなかつたのである。勿論、研究をした上での批判ではないから、大きなことは云へないけれど、形式から云へばまづ歌劇の部類にいれるべきであつて、「演劇そのもの」としての価値は低いものと断言して憚らなかつた。殊に、歌詞がまるで解らないと来ては、音曲としての縁遠さは別にしても、われわれの興味を惹く何ものもないと高を括つてゐた次第だ。
日本歴史の旅