14yearold
十四五歳の頃、私は陸軍幼年学校の生徒であつたが、そういう学校へなぜはいつたか、その理由はここでは述べないことにして、とにかく、将来軍人として身を立てる覚悟で、おおむねドイツ式を採り入れたこの学校の寮生活をつづけていたのである。もちろん、中学校程度の学課のほかに、実課(或は術科か)と称せられる軍事的な初歩訓練が行われ、ことに、訓育と呼ばれる日常の生活規律は一般兵営のそれよりは細かく、かつ、厳しく、いくぶん「貴族的」とでも云うべき作法を主にしたものであつた。この訓育の任に当るのは生徒監で、尉官級の云わば先輩、自分らがかつて仕込まれたとおりに後輩を仕込もうという一念以外になにもない、単純律義な指導者であつた。
それはそうと、私のいた時分には、生徒おのおのに毎日「反省録」というものを書かせることになつていて、一日の行為、想念を通じて、「将校生徒」たるに恥じるところはないかどうかを省み、自己此判を「正直」に記録しなければならないのである。
かゝる強制が如何なる結果を生むかは、或る種の教育者を除いては、明かに想像し得るに違いない。しかも、肝腎なことは、これを誰に読ませるかと云えば、その単純律義な生徒監にであり、多少物わかりのいゝ兄貴風を吹かす半面、極めて先入見の囚となり易い頭脳の持主であることがわかつていた。かの信者のザンゲを聴聞するカトリック僧の風貌を私は知らぬけれども、わが生徒監の背後には、万能の神の代りに、立身出世の鬼が口をひろげているのである。
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